2013年3月26日火曜日

明けないつわりはない

朝目覚めたら、カーテンの隙間から差し込む陽射しが眩しくて、それがただただ愛しくて、安らぎと希望が胸を満たすのを感じながら、ああ、終わったんだ、と思った。

 …ってな具合にね、終わるもんなのかと思ってたんだけど、つわりってやつが。そもそも「うっ」って口を抑えてバタバタとトイレに駆け込むとか、食べづわりとか吐きづわりとか土が食べたくなるとか、典型的な症例がなかった分、終わりもそんな明快にはいかないようで。唯一の、妊娠によってもたらされたであろう症状が消えたので、峠は越したのだと思うことにした。

 酒に異常に弱くなったと悩んで妊娠に気づかないでいるうちにピークを過ぎてしまったらしいあたしのつわりだが、妊娠を認識してからの特殊な症状としては、朝の鼻血と、それに伴う異常な起きにくさ(頭が覚醒しているのに体がついてこない)、それから満員電車の体臭で引き起こされる吐き気というのがあった。体臭なんて好きな人はいないし、季節替わりはいつも嫌な思いをしていた気もするんだけど、嗅いだ瞬間リバースしそうなあの衝動(駅のトイレで一回リバースして以降は通勤時間をずらした)は、特別な域に入ると思う。

 鼻血はやっぱり異常だし気持ち悪いし、つわりの一種だろうと思っていてもなんだか不安なので、「霧が晴れて夢のようにポジティブになる」と言う人がいるつわり明けを楽しみにしていたんだけど、鼻血が一日置きに、あ、二日出てない、とか思ってるうちに、いつの間にか過ぎ去っていたようだ。別れを告げることもなく。

 実は体調の平常化と同じくらい、「霧が晴れたような前向きさ」が湧き出すのを楽しみにしていたのだけど、何も兆候がない。妊娠していることが嬉しくて世界中に告げたくて、とか、生へのリスペクトがあふれてウキウキワクワク、とか書いてあるんだけどね、物の本には。どこよそれ。

 でも考えてみれば、基本が後ろ向きでネクラで妊娠にも消極的なあたしが、ニュートラルな気分になっていること自体、+要素が働いているのかもしれない。マイナススタートだから0になったってだけで。ヤダヤダヤダもう妊婦やめたい、黒ずんでいく体なんていらない、浴びるほど飲みたい、つーか飲み友だちもみんな妊娠すればいい、…とか思わなくなったし。つわりが明けたというよりは、つかえがとれた、諦めがついた。

 これからものすごい晴天がくるのかも、という淡い期待もないではないが、梅雨が明けただけでも良しとしよう。鼻血ストップ、バンザイ。



2013年3月16日土曜日

Watching: Nine Months 〜九ヶ月の不公平感

映画 "Nine Months"(邦題:九ヶ月)を観た。ピルで失敗して妊娠、ってところが甚だ怪しい(女がクロ)気がして、コンバーチブルを手放したくない男の気持ちもよく分かる。あたしだってヤダ。絶対ヤダ。ツレの人は「チャイルドシート載らないよね」とか平然と言ってくるけど、大枚はたいて買って、税金もメンテも車検もケアしてるのはあたし! パンダは違う乗り物に載せるか、オープンエアーで走ってくれ! ってな気になる。周りがびびるだろうな、オープンカーでベビー・オンボード。

 ところで映画タイトルの「九ヶ月」は、日本の「十月十日」とは違って欧米では一般的に九ヶ月で妊娠経過を数えているからなんだけど。同僚の外国人に「今、何ヶ月?」と聞かれると −1しなければいけないので紛らわしい。ちなみに同僚の一人は「アメリカでは九ヶ月なんだよ」と日本人の奥さんに言ったところ、「アメリカ人は妊娠期間が短いんだね」と驚いたそうだ。そんなわけないだろ!

 でも考えてみると、九ヶ月にしろ十月十日にしろ、概ねそのくらい腹のなかで育てなきゃいけない、というのは万国共通なわけで。それって結構すごく公平なことのような気がしてきた。芸能人が売れ時で多忙だから三日で、というわけにはいかないのだ(代理母出産はまぁ置いといて)。あの人もこの人も、ほぼ同じ胎内期間を経て世の中に産まれてきたわけで。人類皆平等。そう思えばこの期間もまた乗り越えられなくもな…いけど…せめて「六カ月で生後四ヶ月相当の赤ん坊を出産」とか、合算で選択制とかならいいのに…six more months...