2013年5月21日火曜日

Don't cry for me, Japan...

酒席でマタニティマークの話になったので、例によってMマークをつけない方針について語った。方針もなにも、酒場で管巻いてるような俗人が、通勤時つらいからってこれ見よがしにMマークをつけるのは赦されるものではないというくらいの自覚はある。

 「人は様々な事情を抱えてるけど、それぞれにマークがあるわけではない。ましてや妊婦は病気ではない。つらそうな人がいたら検知して席を譲る、という単純な思い遣りじゃだめなんだろうか」と主張したら、「実は同じようなことを考えていて、Mマークには賛同しかねるけど表立ってそうは言いづらい」という友の意見が引き出せた。「その考え方いい。総理大臣になってよ。エヴィータになれるよ」って。なんせアルゼンチンでこそないが、酒の席なんで。

 Mマークは付けていないものの、さすがに腹が目立ってきた。時差通勤な上に遠回りして出勤してるし、人が降りる駅では自分で空席確保に動くし、できるだけ人に面倒をかけないようにしたいと思いつつ、そうも言っていられない。一週間のうちに二回席を譲られ、ありがたく座らせてもらった。Mマークを着用していなくても、席の前、特に優先席の前にこれ見よがしに立つと人にプレッシャーをかけてしまうんじゃないだろうか、と思い、ドアの周辺や、そこも空いていない場合は「どこでもない通路」に立つことにしていたんだけど、踏ん張って余計に負荷がかかるためにきつくなって、素直に車両の両端に行くようになった。そうすると必然的に優先席周りになってしまうので緊張する。

 携帯に夢中な人ならば気づかなくて負担にならないだろうか。いやむしろ強くアピールしているように見えるだろうか。誰も全然気にしていないであろうことを一人思い悩むあたしは小さい。自意識過剰で実に小者だ。オットの人に言わせると「過剰にシャイ」なんだそうだ。こんな小市民ではエヴィータにはなれそうにない。

2013年5月15日水曜日

タイに行きタイ

来月のバンコク行きの出張が決まった。日程が妊娠32週目にあたる。会社としては、是が非でも行ってくれというスタンスではなく、自主性に任せるから決めたら報告してね、というレベル。でも、あたしは、行きタイ。

 タイは何度か行ったことがあるし、行くとしても仕事の日程のみでいくので、目的は自由時間ではない。ピュアーに仕事で出ておきたい会議があるからなんだけど。自分の目算では28週あたりで行けるかと思っていたのがずれて、九ヶ月に差し掛かってしまうとなるとさすがに躊躇する気持ちもある。

 体調は良好とはいえ、いつ変化するか分からないし、しかも首都とはいえ途上国である。とりあえず同僚にタイの医療事情を聞き、日本語・英語OKの総合病院の存在を教えてもらって+1。32週あたりでの海外行きについて検索して、知恵袋で「赤ちゃんの安全を第一に考えたら、そんな無謀なこと信じられません!」的な無用コメントに消耗して-3。32週までを帰省時期としてお勧めします、体調管理に充分に気をつければ◯、という助産師の建設的な見解に+5。行く、行かない、でもやっぱり行きタイ…。タイの医療事情も一応確かめると、中にはわざわざ出産しにタイに渡った人のブログなんかもあって心強い。いやあ、4泊の出張で思い悩むなんて甘いねー。と、都合の良い情報だけを尊ぶ。

 日系航空会社は36週以降で医師の診断書が必要なのに対し、タイ航空は28週以降と厳しい。でも予算的にはタイ航空にせざるを得ない。搭乗7日前以内に医師からの英文診断書の発行、ってエライ面倒くさいけど、背に腹は代えられないので渋々承諾。また検診に余計に時間かかるよ。

 一ヶ月後、どれだけ身重度が増してるか想像がつかないし、体調崩したらキャンセルするしかないけど、パンダくん、腹の中で五度目の海外行き(最初の三回は存在に気づいてなかったとけどね)だから慣れたもんでしょう。Bangkok, here we come!



2013年5月14日火曜日

オトコとオンナの間には

表題は、妊娠・出産にあたって「オトコとオンナには分かり合えない溝がある」という意味合いではない。そんなことはわざわざ記すに値しない。緩い友情で結ばれたオトコとオンナの間。そこに流れる一筋の川について考察したい。

 外食・飲み会ライフを当面中止にしなければいけなくなるので(もう中止しろよ、という声はさておき)、活動の締め括りに日々精を出している。お互いに既婚、あるいはパートナーがいるし、気のおけない飲み友だちだし。仕事の愚痴っぽいこととか、夢とか幻想とか、行った・行きたい旅行の話とか、まぁ酒が進めばなんでもよくて、そんな話で盛り上がるのが、性別を問わず常だったのだけど。今のホットな話題はあたしの妊娠には違いなくて、自然と妊娠とキッズの話題になる頻度が増すと共に、異性の友人たちの新たな一面も知ることになる。それは、父の顔。
 
 気のおけないフランクな男友達。その多くは、既に父であった。あるいは、自由人だが、家族間や子どもに対してなにかしらの思いを持っていた、という新事実。

 年も年だし、当たり前といえば当たり前なんだけど、今まで意識したことがなかったのだ。そういえば、妻子は家に居るけどキミは日々飲み歩いてるのね、とか、その恋バナは当然、妻子を無視したところで進行しているのね、とか。あるいは子どものケアとか教育とかに実は心血注いでたり、無頼派気取りかと思いきや、休日は割り切ったマイホームパパだったり。

「なんで今まで子どもの名前も話も一度も聞いたことがなかったんだろう?」
「だって興味なかったでしょう?」
その通り。興味がなかった。でも、今もそこまではないのにキミは勢いづいている! へぇ〜、新鮮〜! と思う一方で、何かが決定的に「損なわれている」感じが胸中を渦巻く。

 何が「損なわれて」しまったのか。それは、どこか僅かなところでは意識していた、男女間にたゆたう、甘やかで心地良い細い川みたいなもの。小ネタ家族ネタ解禁、知らなくて良い一面を知るにつれ、その周りがちょっとずつ決壊していく。ネタバレ注意、ってやつですか。

 雑誌VERY でいうところの「女/妻/母」、あたしが後者二つのスイッチもあることを見せたところで、異性の夫/父の顔を露呈させてしまったという衝撃。やましいところのない、なにも期待しないところにあったはずの淡い関係性の危機。この先は違うステージに入るしかないのか!? 愛とか無人島の話ではなくて、予防接種とか妄想について語るような? 妊娠のリアリティは、思わぬ影響をもたらしている。

 …とかどうでもいいことを長々と考えるあたり、マタニチーブルーか、アルコール不足のどっちかかしらね。

2013年5月11日土曜日

ふがいないあたしは空を見た

「自然、自然、自然。ここのやってくるたくさんの産婦さんたちが口にする、自然という言葉を聞くたびに、私はたくさんの言葉を空気とともにのみこむ。彼女たちが口にする自然、という言葉の軽さや弱さに、どうしようもない違和感を抱きながら、私はその気持ちを言葉に表すことができない。乱暴に言うなら、自然に産む覚悟をするということは、自然淘汰されてしまう命の存在をも認めることだ」

 窪美澄・著『ふがいない僕は空を見た』。妊娠の参考本じゃなくて小説として手にとったのに、これまでの読んだなかで、妊娠・出産に関連する描写として一番しっくりきた。登場人物の一人に、助産師がいる。冒頭はオムニバス形式のなかで彼女の語りの章からの引用で、個人経営の助産院だけに「自然に産みたい」と希望してやってくる女性たちへの思い。

 妊娠に関連して、「自然」という言葉で括られる様々な不自然さにうんざりし始めている。「無痛分娩にするかも」と言えば、自然に産むのも良いもんだよ、赤ん坊の顔を見れば痛みも疲れも吹き飛ぶよとか、やっぱりオーガニックでナチュラルな無添加フードですよね、オーダーしちゃってますとか、空気清浄機と安全素材のおもちゃ揃えましたとか。

 他人は他人。分娩様式の選択に口を挟まれたときなど、実害があるときだけ否定すれば良いとは分かっているんだけど、ついそれ以上の思いを抱いてしまう。「自然」を愛し、恥ずかしげもなく「自然」を説いてくる人ほど矛盾が多い気がする。子どもが欲しくなったから排卵日計算して仕込んだっていうのは自然? 鉄分と葉酸だけは食材じゃなくてサプリで摂るのもOK? 食べづわりでマックのフライドポテトが止まらないって言ってたけど? 食べたくなるのは自然? でも添加物は不自然?

 欧米では主流になっている無痛分娩が日本ではマイノリティなのは、「自然に産む」ことが推奨され、痛みすら美徳と捉える日本の風潮によるものだといわれている。結構なことだ。あたしは痛いのは嫌だし、あまり痛くなかったから愛情が薄れるならばそれまで(じゃあ父親はどうなるんだ)なので、選択肢として無痛・和痛分娩もある病院で出産を考えている。ひねくれてるのも、臆病なのもあたしのネイチャーです。自然体でいさせてね!

2013年5月8日水曜日

春のフレッシュマン・シーズン

春先、スーツを着慣れていない、新入社員と思しき若者達が、大きく張った胸とみなぎるエナジィで満員電車をますます狭めてくれる今日この頃。医療業界も例外ではなく、産婦人科でも見慣れない、いかにも初々しい白衣の人々が増えた(医者なのか看護師なのか助産師なのかは判断がつかない)。
 
 小太りの男性が診察室に駆け込んでいったので遅れてやってきた付き添いの人かと思っていたら、超音波検査のときに白衣で現れたため、多分遅刻したのであろう新人産科医であることが分かった。腹部の超音波だからまだいいけど、風貌も、不慣れな手つきも、白衣の雑な着方もそこはかとなく不安を感じさせる。

 しかしこちらはまな板の上の鯛。煮るなり焼くなりされるのを待つことしかできない。腹部を出して待っていると、超音波検査用のジェルを、予告なしにたーーーっぷりとかけられた。おフレンチのソース料理だったか…それは新しい。その上、検査装置をやみくもに動かすので、なにがなんだか分からない。「頭です」「右目です」という説明はあるが、まったくそれらの輪郭がつかめない上に、採寸している箇所もなにやら怪しい。前回は見えていた頭や手足のパーツに何かあったのか、ますます心配になってくる。受け取った超音波写真は、今までの中で一番わけがわからない、部位すら判別できない心霊写真状態だった。

 ティッシュ箱を手渡してくれずに、「はい、お腹拭いたら結果を待って下さいね」と言って去る新入りセンセイに、「終わった後の始末をしない」男の姿を見る。拭かないでそっぽを向くタイプですね。ティッシュを手繰り寄せて、お腹を拭き始めて二度びっくり。ショーツにペーパータオルを挟んでいるのに、そこに染みて、さらにサイドに流れでて、脇腹とおろしたジーンズも濡れているほどのジェルの量だった。ヌレヌレがお好きなのね。…って、ふざけんな!! お陰で会社に直行するはずが、着替えのために帰宅を余儀なくされてロスタイム…はた迷惑なOJTである。

 看護師が横で見ていることもなく彼とは1:1だったし、このヌルヌルの事後放置プレイについてフィードバックする機会は当然ない。だとしたら、この人は気づく機会はあるのだろうか。何人目かの女が、私のできなかった指摘をビシっとしてくれることを願いつつ(それ以上に、もう彼に当たらないことを祈りつつ)、診察室を後にした。冷やしてはいけないはずの腹はジーンズのジェルに浸ったままで…。