2013年10月25日金曜日

赤ちゃん返り、若返り、あるいは若作り

保育園の見学へ向かう電車のなかで隣り合わせた女子高生が、「別れるっつったらどうする? って彼氏に聞いたわけ。そしたら『絶対そんなことはさせない』って言うのー」「なにそれ、愛されてんじゃん、うらやましいー!」と、惚れた腫れたの浮かれポンチな会話をしていた。

 で、どう思ったかって、「あたしもうらやましいー(>_<)!!」と、怖いくらいの激情にかられた。告るとか告られるとか、別れるとか別れないとか、合コンとかフォローアップデートとか、勝負店とか勝負下着とか、なんかいいわ、そういうのがしたいわ。

 結婚して、男と女の面倒なラブゲームとは無縁で生きられるなんて楽ちんでいいわ、とか思ってたはずなのに。出産の反作用かね。赤ちゃん返り、みたいな? 若返りたいのか、あたし?
 
 女子高生はスマホで連絡とりあって今からおデイトとか行っちゃうわけよ。マックだかなんだか。酒飲めないのはイヤだから制服姿の女子高生に戻るのは勘弁だけど、なんかね〜、現役に戻りたいわね〜、と思うあたしは文字通り乳飲み子を抱えていて、抱っこ紐の中からつぶらな瞳が見つめている。キュート! と思う気持ちと、遊びたいと思う気持ちは、別腹なんだよね…。
 

2013年10月16日水曜日

そして母になる

8月15日にパンダが産まれてから二カ月経過。今までのように日にちを遡ってごまかそうか迷ってやめた。二カ月経って感じることを、ここまでの期間に置き換えると、だいぶ嘘っぽいから。

 育児エッセイやマンガの多くが大体二カ月くらい経過してから始まっているのを不思議に思っていたけど、産んでみるとよく分かる。そんな時間はどこにもない。体力もない。当然気力もない。ついでに目もかすんで見えにくくなっていて、何かを読んだり書いたりするどころじゃなかった。もうこのまま見えないんじゃないかと思った。ダメなんじゃないかと思った。出奔しようかと思った。でも何をするにも体力と精神力がなかった。いつも泣きたいような気分だったけど、涙はまったく出なかった(そして先週、視力低下について「涙が足りない」と眼科で診断される)。

 出産当日に生まれて初めて赤ん坊のオムツを替えて以来数百回のオムツ替え、同じく数百回の授乳を経て、頑なに避けていた「おっぱい」「赤ちゃん」「うんち」「おしっこ」等の単語も臆面なく言えるようになった…というより、ボキャブラリーがもはやそれしかなくなった。

 母性や母親としての自覚の芽生えは感じないし、頭の中は嫌になるほど相変わらず自分のことばかりで、ドーパミンや幸せオーラが分泌される実感もないのに、乳はほとばしり出た。他人に乳の出について聞かれるのにも慣れた。乳幼児虐待のニュースを見ながら、「こんな親でもこの日々を乗りきって、子どもが三歳やら五歳やらまでは育ってるんだな」と変に感心した。

 妊娠で八キロ増えた体重は、産後一ヶ月で十二キロ減った。一ヶ月検診では医師に「おめでとう、卒業です。日常生活に戻れます」って言われたけど、手放しでは喜べない変化が体に残ってるし、戻るべき日常なんてもうないような気がした。少なくともあたしの定義での「日常」は。浴びるほど飲みたい衝動に何度も駆られた。でも飲まなかった、浴びるほどには。寝られないし飲めないし外に出られないし、したいことが何一つできないなら、日常生活って何?

 そんな状態で二カ月が経って、新生児は乳児になり、あたしは母になった。…のか? パンダには多くを求めない(今のところは)けど、生きていく上で「明けない夜はない」という月並みなことを知ってほしいと思った。だからあたしもそればかりを念じた。この眠れない夜が無事明けますように。長い夜は明けそうなののか、まだまだ明けないのか。はたまた白夜だったりして? 母になるよりも女でありたいんだけど? …懐疑的で欲張りなあたしが戻ってくることが、なによりも復活の兆しなのかもしれないけど…。