2014年2月21日金曜日

その娘を守るのは誰?

東武鉄道の中吊り広告を見て、朝からざらっとした違和感で胃が重たくなった。

「パパは 地球は守れないけど 線路は守れる。」
娘が、寝息をたてている。
電車のおもちゃをにぎったままだ。もう2歳か。
ネクタイを締め直し、会社に向かう。
私は、線路の調整をする仕事をしている。(以下略)

 広告として最も重要なメッセージ部分を省略したので、そこは画像で見てもらうとして。あたしがざらつきを覚えるのはこの冒頭の部分だ。


 この人の仕事には頭が下がるし、それを否定したいわけでは決してない。ただ、家族の犠牲をコントラストにしなくても良いんじゃないかと思うだけで。「子どもの寝顔しか見られないけど仕事に心血を注ぐパパ」の企業戦士感は、線路に降り注ぐ朝日のように眩しい、のか? この働き方、引いてはこの広告が成り立つのは、眠れる2歳の娘を起こして面倒をみるパートナーがいるからで(仮にパートナーがいなかったとしたらそれは別の物語になる)、明け方まで勤務して朝日を見ることになるパパは、家を出る時点でネクタイを締め「直す」。居住まいを正す思いでネクタイを整えるということなのか。そもそも作業着でボルトを締めるのに、ネクタイを締めて出勤する必要があるのかも疑問だけど。

 ここで「パパ」が「ママ」に置き換わることは、まず考えられない。重労働だからという、職業そのものについていっているのではない。深夜帯しかできない保守点検作業に就いている女性がいるとして、娘が2歳で仕事に復帰していたとして、同じように広告として成立するかというと、多分しない。もう2歳か、という距離感で子どもと接することを、日本社会は「ママ」に許さないだろう。誰が子どもの面倒をみているのかが疑問視され、「ママは 家庭は守れていない」という視線に晒されるのがオチじゃないのか。

 考え過ぎかなー。いちいちこういうことに引っかかり、目くじら立てるのは余裕がないせいなのかもしれない。なにはともあれ、この人たちのお陰で線路は守られていて、今日もあたしは無事通勤できるのだ。…東武鉄道に載ってるわけじゃないけど。

2014年2月1日土曜日

あん肝が食べたい

あん肝が食べたい。蒸してスライスしたやつ。あたしが世界一おいしいと思っている、料亭Nのあん肝を食べさせろとはいわないから、そこそこ美味しいやつならなんでもいい。

 あん肝への渇望を感じ始めてから一週間くらい経つのに、まだ食べられていない。居酒屋にいけない身にとっては、思いがけないほどハードルが高いのだ。魚屋に行ったけど、食べたいのはあんこう鍋セットじゃないし、スライスは中国産の怪しいパック商品しかなかった。

 前は、何かが食べたい、という衝動にかられたら、24時間以内、少なくとも一週間以内には満たされていた。河豚クラスだと一カ月くらい先になることもあったけど。それが今じゃ、いつになるかまったくめどが立たなくて途方に暮れる。子どもがいる、しかも体の自由が利かないっていうのは、好きなときにあん肝が食べられないってことなのだ。

 こんな下らないことを悶々と思い悩んでしまうのは、ビタミンA/D/Eが足りていないからに違いない。…あん肝には、その三拍子すべてが揃っている。

2014年1月6日月曜日

習うより慣らし保育

年明けの仕事復帰に向けて、着々と準備していたはずだった。

 年末最終週にいわゆる「慣らし保育」で3時間から一時間ずつ増やしていき、完成させて冬休みに入って育休最後の愛情たっぷり注いで年を越し、年明け初日からフルタイムで出社。冬休みは遠出できない代わりにシティホテルでセレブな一泊。…そうスムーズに行くわけないけど、できるだけの手は打ったつもりだったのに。甘い、甘過ぎでしたね。way too sweet!  で、実際は。

 慣らし保育初日。ホッとするような暖かい陽射しを浴び、抜けるような青空を仰ぎながら、眩しくてちょっと切ないけど気持ちが良い、子どもを預ける初日の実感を、あたしは一生忘れないだろうと思ったんだった。片道30分、寒い思いをさせずに済んで良かったと。

 わけも分からず、責めるでも戸惑うでもない四カ月児を保育園に預けて最初の三時間、できたことといえば役所に諸手続きに行っだけ。子どもの心配をする余裕もないほどのわずかな時間だった。でも、迎えに行くと様子が少しおかしかった。帰りに見上げた空は曇っていた。泣けないはずのドライ・アイなのに。

 そこからはもう、嵐のように。保育園を変えたい一心で、協力も仰いで何十件と問い合わせ、奇跡の一件、隣の区に空きを見つけて即日転園手続き。入園健診に行ったら水疱瘡の疑いをかけられるも、年明け入園のめどだけはつけて、ホテルステイはキャンセル、年末年始は引きこもって過ごした。予定は大きく狂ったものの、安心して預けられるところが確保できたので気分良く年を越せた。幸い水疱瘡でもなかった。

 最初の無認可保育園は、平たくいえばあたしには「合わなかった」。余裕がないだけで悪意はなかったと思う(思いたい)ので告発する気はないけど、「是が非でも変えたいと思う理由」を書き出したら、三日しか預けていないのに16項目あった。行く度に忘れられていて(パートのおばちゃんが毎回違う)「見学ですか?」と聞かれることに始まり、迎えに行くまでオムツを変えない、でも使用済みオムツが散乱している、その中を年長の乳児がハイハイしている、ミルクを与えなかった理由を「飲みたがらなかった」と言われる、記録が一切ない、ネズミが出る…等々あったけど、決め手は子どもの表情だった。額に絶望の文字が浮き出て見えるような表情、加えて鼻水が頬から目元まで固まっていて、ふやかさないと取れないほど。

 未然に防ぐことはできなくても、起こってしまったことに全力で対処する。それしかないす、それしか。年明けから、リセットして慣らし保育スタート。月並みだけど、親も子も慣らす保育なのね。