役所に妊娠の届けを出したときに、「マタニティマーク」(以下Mマーク)というやつをもらった。これね、静かに圧力をかけるためのアイテムね、役所でもらうのか、ととりあえず受け取って、持ち帰って放置しておいた。夫のヒトがそれを拾い、「これ、なに?」と聞くので、役所でくれた、と言うと、「へぇ、こんなのあるんだ」と。
驚いたことに、彼はどこで配布されているかを初めて知ったのではなく、Mマークそのものの存在を今さら知ったのだ。これまで視界に入ったことがないらしい。ひとでなし。なんつって。見えても特に意識してこなかった私の方がひとでなしかもしれない。いや、無視していたわけではないが、座ってたら立ち上がるなり、立ってたら離れるなりを黙ってするだけで、大袈裟に譲る姿勢はアピールしてこなかった。気恥ずかしくないか?
Mマークをつけている人は何を求めているのだろう。席を譲られることを? 近くで煙草を吸うのを躊躇されることを(喫煙席にも関わらず)? 優しい眼差しと好意を? しかしそんなものはほとんど期待できない、とは、妊婦を卒業した友だちの弁。席を譲られたことなんか数えるほどしかないよ、と。じゃあますますなんで? 大体、車内は携帯に目を落としている人ばかりでMマークにも気づかんだろうよ。
そもそものMマークの主張やその効果について懐疑的で、それに妊婦ということであえて目をつけるワルモノも世の中にはいるように思えて。でも私がMマークを着用しようとは思わない最大の理由は、誰にでも事情がある、というのが世の真理だと思うからだ。そしてそのほとんどは表立っては見えない。
ペースメーカーをつけている、人工透析を受けている、耳が聞こえない、来週大手術を控えたばかりだ、原因不明の偏頭痛が続いている、魚の目が死ぬほど痛い、祖母が危篤なのに仕事に行かざるをえない、世紀の大失恋で死にたい気持ちを抱えている…。あるいはそこまでではなくても、膝から崩れ落ちそうで、立っていられそうになかったり、誰かれ構わず労ってほしかったりしても、それをアピールするためのマークはない。誰にでも事情がある。そんな事情を胸の、体の内に抱えて生活を続けるのがオトナなのだ。
つうわけで、オトナの女を標榜したい私はMマークを放置しているわけだけど、捨ててないあたり、「いやー、やっぱ気休めにはなるわ〜」なんてそのうち付けてたりして。妥協するべきときは容易く妥協する、それもあるいはオトナの事情なのだ。ちゃんちゃん。
0 件のコメント:
コメントを投稿