2013年5月11日土曜日

ふがいないあたしは空を見た

「自然、自然、自然。ここのやってくるたくさんの産婦さんたちが口にする、自然という言葉を聞くたびに、私はたくさんの言葉を空気とともにのみこむ。彼女たちが口にする自然、という言葉の軽さや弱さに、どうしようもない違和感を抱きながら、私はその気持ちを言葉に表すことができない。乱暴に言うなら、自然に産む覚悟をするということは、自然淘汰されてしまう命の存在をも認めることだ」

 窪美澄・著『ふがいない僕は空を見た』。妊娠の参考本じゃなくて小説として手にとったのに、これまでの読んだなかで、妊娠・出産に関連する描写として一番しっくりきた。登場人物の一人に、助産師がいる。冒頭はオムニバス形式のなかで彼女の語りの章からの引用で、個人経営の助産院だけに「自然に産みたい」と希望してやってくる女性たちへの思い。

 妊娠に関連して、「自然」という言葉で括られる様々な不自然さにうんざりし始めている。「無痛分娩にするかも」と言えば、自然に産むのも良いもんだよ、赤ん坊の顔を見れば痛みも疲れも吹き飛ぶよとか、やっぱりオーガニックでナチュラルな無添加フードですよね、オーダーしちゃってますとか、空気清浄機と安全素材のおもちゃ揃えましたとか。

 他人は他人。分娩様式の選択に口を挟まれたときなど、実害があるときだけ否定すれば良いとは分かっているんだけど、ついそれ以上の思いを抱いてしまう。「自然」を愛し、恥ずかしげもなく「自然」を説いてくる人ほど矛盾が多い気がする。子どもが欲しくなったから排卵日計算して仕込んだっていうのは自然? 鉄分と葉酸だけは食材じゃなくてサプリで摂るのもOK? 食べづわりでマックのフライドポテトが止まらないって言ってたけど? 食べたくなるのは自然? でも添加物は不自然?

 欧米では主流になっている無痛分娩が日本ではマイノリティなのは、「自然に産む」ことが推奨され、痛みすら美徳と捉える日本の風潮によるものだといわれている。結構なことだ。あたしは痛いのは嫌だし、あまり痛くなかったから愛情が薄れるならばそれまで(じゃあ父親はどうなるんだ)なので、選択肢として無痛・和痛分娩もある病院で出産を考えている。ひねくれてるのも、臆病なのもあたしのネイチャーです。自然体でいさせてね!

2013年5月8日水曜日

春のフレッシュマン・シーズン

春先、スーツを着慣れていない、新入社員と思しき若者達が、大きく張った胸とみなぎるエナジィで満員電車をますます狭めてくれる今日この頃。医療業界も例外ではなく、産婦人科でも見慣れない、いかにも初々しい白衣の人々が増えた(医者なのか看護師なのか助産師なのかは判断がつかない)。
 
 小太りの男性が診察室に駆け込んでいったので遅れてやってきた付き添いの人かと思っていたら、超音波検査のときに白衣で現れたため、多分遅刻したのであろう新人産科医であることが分かった。腹部の超音波だからまだいいけど、風貌も、不慣れな手つきも、白衣の雑な着方もそこはかとなく不安を感じさせる。

 しかしこちらはまな板の上の鯛。煮るなり焼くなりされるのを待つことしかできない。腹部を出して待っていると、超音波検査用のジェルを、予告なしにたーーーっぷりとかけられた。おフレンチのソース料理だったか…それは新しい。その上、検査装置をやみくもに動かすので、なにがなんだか分からない。「頭です」「右目です」という説明はあるが、まったくそれらの輪郭がつかめない上に、採寸している箇所もなにやら怪しい。前回は見えていた頭や手足のパーツに何かあったのか、ますます心配になってくる。受け取った超音波写真は、今までの中で一番わけがわからない、部位すら判別できない心霊写真状態だった。

 ティッシュ箱を手渡してくれずに、「はい、お腹拭いたら結果を待って下さいね」と言って去る新入りセンセイに、「終わった後の始末をしない」男の姿を見る。拭かないでそっぽを向くタイプですね。ティッシュを手繰り寄せて、お腹を拭き始めて二度びっくり。ショーツにペーパータオルを挟んでいるのに、そこに染みて、さらにサイドに流れでて、脇腹とおろしたジーンズも濡れているほどのジェルの量だった。ヌレヌレがお好きなのね。…って、ふざけんな!! お陰で会社に直行するはずが、着替えのために帰宅を余儀なくされてロスタイム…はた迷惑なOJTである。

 看護師が横で見ていることもなく彼とは1:1だったし、このヌルヌルの事後放置プレイについてフィードバックする機会は当然ない。だとしたら、この人は気づく機会はあるのだろうか。何人目かの女が、私のできなかった指摘をビシっとしてくれることを願いつつ(それ以上に、もう彼に当たらないことを祈りつつ)、診察室を後にした。冷やしてはいけないはずの腹はジーンズのジェルに浸ったままで…。

 

2013年4月28日日曜日

母親学級会

面倒なやりとりの末にようやく予約をとりつけて臨んだ第一回母親学級。電話での指示通り予約受付に寄って参加費用を払おうとしたら「こちらの窓口に寄っていただく必要はありません」と一蹴されたので、申し送りの不完全さに嫌な予感がした。

 案の定、予約が入っていないという。予約課にも産科にも記録がないと。いやいやいやいや、相手方の名前こそ控えてないが、二人と同じ話をしてようやく予約に漕ぎつけたのだ。通話記録も残っているのでいざとなったら日時まで正確に伝えられるが、そんな面倒を起こしても仕方ない。「予約がとれているものと思って会社休んで来ているんですけど、結局どうすればいいですかね」と困り果てた(実際疲れたし)感じで聞くと、三回分の予約を手配してくれた。ここまでの所要時間、約25分。

 そして二時間半と言われていた母親学級はたっぷり三時間。たまげたのが、冒頭の挨拶。「最近は忙しい方も増えて、この母親学級も見直されているんです。今度から一時間半が二回になるので、皆さんは二時間半を三回受けられる最後のクラスなんですよ。しっかり聞いていって下さいね」。勝手に感極まる金八先生、卒業式前日ばりのプレイに沸騰しそうになるのを抑えるのが精一杯だった。「お仕事都合して来て下さい」って言ったくせにアンタ…なんであたしを留年させてくれなかったの!? こっちは午前中在宅勤務、18時から出社、本当に万障繰り合わせて来てんのに…。

 心の叫び虚しく、「最後の完全授業」が始まる。自己紹介で「幸せな人でいっぱいのお部屋ですね」ってキラキラ瞳を輝かせる女子に照らされてあたしの陰が増す。周囲の意気込みに、大爆音でドリカムのポジティブソングメドレーを聞かされる気分だ。うれしい楽しい大好き、大好き~♪
 
 内容に踏み込むのはよそう。勉強になることもいろいろあったし、助産師さんはテキパキしていて好感がもてた。でも一つだけどうしても記しておきたい。
 四人組での「今、悩んでいること」ディスカッション。腰痛だ食事だ出産準備だはまぁいい。あたしもいいオトナなので、性生活や飲酒レベルの疑問を持ちだして場をかき混ぜたりしない。
「栄養が足りているか不安で、いっぱいサプリ飲んじゃうんですよね」という女子に、「妊婦さんが飲んで良いサプリなの? 大丈夫?」とツッコむ他の二人。
「大丈夫だと思います、妊婦向けのブランドじゃないんですけど、大手だし」
「どこのサプリ?」
「アム◯ェイっていう会社のですけど…」
 アム◯ェイ! ア◯ウェイって! と心のなかで叫ぶあたしをよそに、他の二人は「聞いたことないー」「妊婦にも良いんですかそれ?」いや、多分良くないから。そもそも企業体としてのア◯ウェイを知らないっていうのは、世間の一般的なレベルなのか? 
 サプリ女子は嬉々として「皆さん知らないんですかぁ?」と、あたしにEyes to me。いいオトナとしては、大手マ◯チだよね、とか言わずに「知ってます」と受け流した。
 
 終了後にアム◯ェイ女子が布教活動に勤しんだかどうかはあたしの知るところではない。分かっているのは、まだ二時間半(三時間?)のクラス二つ+両親学級(こちらは土曜日にも設定がある。ズルイ)を控えていること…。仕事の十倍くらい消耗するこのお勉強会、卒業する頃には、未来予想図が 思ったとおりに 叶えられてる♪ のかな?


2013年4月19日金曜日

弱者を思い遣るのは弱者

通勤時に席を確保して座っていたら、途中駅で腰が悪そうな老人が載ってきた。空席を探している目とぶつかったところで手刀を切られ、目顔で合図して席を立つと、老人が席に収まった。

 ほんの数十秒のことだ。しょうがないな、くらいの気持ちだったが、立って周りを見渡すと、座っていた列(七人掛けだかの一般席)が、全員、スマホに目を落とすか寝ているかしているリーマンだったのでなんとなく腹が立った。いやあ、こっちもニンシン六カ月なんですけどね…。スリムボディで(NOT!)分からないにしても、「体が不自由な老人に席を譲る」「女性より先に立とう」とか、多少なりとも思わないのかね…。

 会社でこの話を持ち出すと、「だから! Mマークつけて下さいよ!」という議論にまたなるのだが、百歩譲ってつけていたところで効果があったか疑問だ。ゲームに夢中なオッサンが気づいて配慮するとは思えない。席を譲った老人が、「しまった妊婦だったか」と思う…ほど認知が高まっているのかは分からないが、それはそれで気の毒なだけだ。

 同僚がさらに、「弱者に気づくのも弱者だけですね! どういう社会ですか!」と憤慨してくれる。韓国では、優先席が空いていても一般の人は座らず、空けておく風潮があるらしい。それを聞いたときは、極端だな、と思ったけど、あるいはその方がマシかも。「事情」を抱えてそうにない人が優先席に陣取って携帯に熱中、というのは珍しい光景ではない。もはやあたりまえになってるけど、残念な社会には違いない。

2013年4月12日金曜日

働く母親学級


出産を希望している病院で、母親学級の受講が必須だと言う。全四回、何週目に受けるかが決まっていて、指定日はすべて平日午後、所要二時間半。

 「全部平日になりますけど」と助産婦さんは受講用紙を見せながら微笑み、「けど?」と戸惑うあたしに「お仕事都合して来て下さいね」。終了。なにがなんでも指定日に受けろと。仕事は都合できるものだと。

 今のあたしならなんとかならないでもない。周囲に多少負担を強いることになり、自分の仕事を追い込むことにはなるけど、それでも職種・環境的に融通が利く方だ。でも他の職種のときだった頃だったら仕事にそんな穴の開け方をするなんて考えられなかったし、チームプレイの中で周囲の風当たりもあっただろうと思う。シフト制だったら? 工場のラインにいたら? 周りに迷惑をかけて、自分でも負担を感じながら午後休を無理やり三回ねじ込むほど価値あることを教えてくれるんだろうか。ちなみに、「長時間の外出は疲れるので検診日は別に設定して下さい」という注釈付きだ。はい、それは別途一回休みってことね。ちなみに母親学級とは別に一回設定される「両親学級」は、土曜日の設定もある。父親は平日は辛かろうという配慮をされるのか。

 保育園の不足だなんだと、出産の障害になるといわれていることはゴマンとあるけど、こういう澱が積もっていくことに消耗する。

 この話にはさらに後日談があって、諦めて予約しようと電話をしたら「電話では受け付けません。窓口に来て下さい」と言われる。遠方からで、もとより分娩予約だけでも大丈夫という話だった、と説明すると、電話を代わられ、もう一度同じ説明を求められる。しまいには、知人友人、近所の人が代理で窓口に来られないのか、とまで責められる。なんだ、近所の人って? 予約したからには間に合うように行くし! 住所氏名その他、被保険者情報をすべて抑えてるのに、何が不満なんだ? いや、そもそも窓口でしか予約できないって面談のときに教えて欲しいよ、仕事の都合つけろだなんだより先にさ。

 怒り出したいのをぐっと堪えて、フルタイムで仕事してるんですけど、受講の時間とるのが精一杯なんですけど、と訴えたら渋々了承された。後に続く人たちのためにも、と思ったけど、疲れきって、何と戦っているのか分からなくなる。一連の話を愚痴ったときの同僚の感想が鋭い。「助産婦や女医もフルタイムで働く女性なのに、感覚が分からないのかな」。本当に。自己都合で仕事に穴を開けることの気苦労を共有してほしいというのは求め過ぎなんだろうか。

 万障繰り合わせて来て本当に良かった! と感動させてくれる内容ならまぁいいけど、テキストをめくると極めてレトロな挿し絵が描かれていて…。

2013年4月7日日曜日

ママたちのイッキ!

扇情的なタイトルだろうか。ママ友集会でイッキ飲みをしている、しかも飲めない人には強要、なんてしていたら目も当てられない。飲めなかったらPTAよろしくね、なんて。昔ならビンでも勝ち抜いただろうけど、今となっては全く自信がない。

 そんなしょうもないことを考え出したのは、今朝の日経新聞朝刊の記事に起因する。保育所不足を取り上げた記事のタイトルが「保育所足りない ママたちの一揆」。内容自体は格別新しくもなく、保育所に入れなくて嘆く母親たちについての記事なのだが、この見出しのセンスに既に旧態然とした姿勢を感じるのはあたしだけなのか!?

 保育所に入れない、というのは、ごく平均的な家族を例にとれば「夫婦」二人の問題であって、決して「ママ」だけのものではない。さらに、認可保育所を増やすよう行政に働きかけることを、本来お上に対する反乱を意味する「一揆」で括る、というのはあまりにも安易じゃないか? 暴動じゃあるまいし。

 まだ保育所探し(いわゆる「保活」ですね)にも未着手なので内容に対してはコメントできないが、もともと待機児童が多いのがよくよく取り沙汰にされる地域で、記事のなかでも挙げられている区に該当するのでそれなりの覚悟が必要なのだろう。落選続きになったら、日々イッキでもするっきゃないね〜。

2013年4月5日金曜日

守りのクリーム・マッサージ

体重は10キロくらい増やしていいとか、最近はなるべく増やさないようにするとか、いろいろな方針があるらしい。うちの病院では「10キロ程度増やしていい」と言われたけど、(あまり)飲み歩かなくなったので特に意識することもなく、19週現在で+約2キロくらい。
 
 内臓が圧迫されるので最近は食事毎に食べられる量が減った。でもパンダが下に降りるにつれて食欲がぐいぐい増すよ、と先輩妊婦が言う。はて、そうなったらどうしよう。本能のままに飲み食いするのがあたしの健全な食生活の方針なのだが、+10キロでいいって言われたって、医者は何も保証してくれないしな。戻らなかったらお先真っ暗だ。

 「五十代とは思えない」という言葉が五十代女性への賛辞であるように、「子どもを産んだとは思えない」体型、という表現が経産婦への賞賛としてまかり通るということは。ウラを返せば、一般人が五十代的五十代であるように、「出産したことが一目瞭然な産後体型」がスタンダードだってことじゃないか。「産前の体型に戻す」を謳い文句にした高額美容サービスが市場にあるってことは、それだけ戻すのが大変だってことなのか。

 いつもなんとなく不満があって、もう少し痩せればいいんだけどな、と思っていた自分の標準体型がこうも惜しいなんて。明日の勝負のため、ではなくて、一年後の自分を憂えながら塗るクリームはときめきがないな、とかぼやきつつ、今までにない熱心さで自己マッサージを施しているけど、妖しいテカリが気持ち悪い。