「パパは 地球は守れないけど 線路は守れる。」
娘が、寝息をたてている。
電車のおもちゃをにぎったままだ。もう2歳か。
ネクタイを締め直し、会社に向かう。
私は、線路の調整をする仕事をしている。(以下略)
広告として最も重要なメッセージ部分を省略したので、そこは画像で見てもらうとして。あたしがざらつきを覚えるのはこの冒頭の部分だ。
妊娠・出産周りには、違和感を感じるボキャブラリーが多々ある。「プレママ」(「ママ」になる前、つまり妊婦のこと)、「仲良し」(妊娠中のセックスのことらしい)なんかの妊婦雑誌に造られたと思しき単語はもちろんだが、「おっぱい」「赤ちゃん」等の一般的な般用語も、あたしの辞書では「乳」「胎児」に変換しておきたいのだが、いけないんだろうか。自主的には発語せずに通しているのに、隠語を言わされるプレイかのように、表現を強要されそうになることが時々ある。
フライトチケットをとるときに、「赤ちゃんはお一人ですか?」という質問に対して「はい、"赤ちゃん"は一人です」と答えることができなくて、かといって、その質問に「"胎児"は一人です」と応じることも憚られたので、メールを引用する形で
>赤ちゃんはお一人ですか?
はい、そうです。
と返信した。
助産師に「おっぱいの調子はどうですか」と問われれば、「異常ありません」と答える。
主語を返さなくて良い日本語の便利さよ。どうでも良すぎるこだわり。会陰の話はどこででもできるのに。
「ママ友」も、必要もなければ発語することもないだろうと思っている。「ママ友になりましょうね!」と言われれれば、波風を立てたくないので曖昧に微笑みながら「いろいろ教えて下さいね〜」とかなんとか答えてごまかすけど、そもそもママ友ってなんなんだ?
一緒に飲む友だちはせいぜい「飲み仲間」、「同様に企業に勤める友だち」を表現する言葉は特にないし、学生時代の友だちは「高校時代(から)の友だち」とヒラくしかない。なんでママ友にだけ独特の表現が用意されてるんだ? 「〜友」って表現、品がなくて悪いけど、セフレとかヤ◯友を連想させるんだよね。利害関係なのか。情報とベンチマークの? あるいは趣味を同じくする仲? 「句友」みたいに。子育てという共通の趣味。
「ママ」という表現にも、いい大人が「友だちになりましょう」と言って友情を始めることにも違和感があるのでダブルでくらうのだ。こういうネクラでひねくれたことを考えるあたしは「ママ友」には向かない、ということを、母親学級で一緒になった「プレママ」たちもいずれ察するだろう。
入院予約に関して、「初産は特に相談とか、話し相手とかいた方がいいから、修学旅行が苦手じゃなかった人は(笑)ぜひ大部屋にして下さい」と助産師が勧めていた。あたしは迷わず個室を希望した。さらばママ友予備軍…あたしは孤独と乳飲み子と同室で充分だよ。
タクシーに載ったら、「マタニティ・タクシー」のパンフが目に入った。事前に登録しておくと陣痛で病院に移動するときにスムーズに配車してくれる、というサービスだ。前に深夜のタクシーでお喋りな運転手さんにつかまり「最近はこんなサービスもしてるんですよ」と言われたときは、無縁のものとして聞き流していたのに、まさか自分が利用することになるとは。
陣痛が起こったときに家人が在宅ならばもちろん送ってくれるだろうが、いつ何時起こるか分からない。死ぬほど痛いらしいから、自分で運転は多分無理なんだろう。さっそく登録してみる。配車料金の400円が加算されるけど、基本は通常の乗車料金。自宅と病院を登録しておくことで、細かい道順を言わなくても輸送してくれるはずで、料金は後払いにもできるそうな。
なんとなく贔屓の国際自動車(km)にしたけど、日本交通も「陣痛タクシー」として同様のサービスを提供している。ざっと比較した限り、km は破水に備えたシートのタクシーが来て、日本交通はタオルかビニールシートを自分で用意する、という点だけが違う。km のがラクだけど、その分破水アトがあるのかもしれないし、どっちのがいいのかは分からん。
なんとなく安心、という反面、ホントにいざという時に頼れるの? うちの前の一方通行大丈夫?いつも大通りでタクシー降りるけど? と疑心暗鬼になって、オオカミ少年プレイ(試しに呼んでみる)をしたくてウズウズしてたら、なんと登録翌日に電話がかかってきた。「地図で確認していますが、この角の物件でよろしいですか?」と確認される。やるなぁ。出番は基本一回しかないし、それすらも、状況によっては(誰かが送ってくれるとか)流れるかもしれないのに、この細やかさ。日本的なサービスにちょっとホッとする。陣痛…遥か遠いことのようで、順調にいけば三ヶ月以内に確実にやってくるもの…ピースでセーフなドライビングでコトが運びますよーに。
酒席でマタニティマークの話になったので、例によってMマークをつけない方針について語った。方針もなにも、酒場で管巻いてるような俗人が、通勤時つらいからってこれ見よがしにMマークをつけるのは赦されるものではないというくらいの自覚はある。
「人は様々な事情を抱えてるけど、それぞれにマークがあるわけではない。ましてや妊婦は病気ではない。つらそうな人がいたら検知して席を譲る、という単純な思い遣りじゃだめなんだろうか」と主張したら、「実は同じようなことを考えていて、Mマークには賛同しかねるけど表立ってそうは言いづらい」という友の意見が引き出せた。「その考え方いい。総理大臣になってよ。エヴィータになれるよ」って。なんせアルゼンチンでこそないが、酒の席なんで。
Mマークは付けていないものの、さすがに腹が目立ってきた。時差通勤な上に遠回りして出勤してるし、人が降りる駅では自分で空席確保に動くし、できるだけ人に面倒をかけないようにしたいと思いつつ、そうも言っていられない。一週間のうちに二回席を譲られ、ありがたく座らせてもらった。Mマークを着用していなくても、席の前、特に優先席の前にこれ見よがしに立つと人にプレッシャーをかけてしまうんじゃないだろうか、と思い、ドアの周辺や、そこも空いていない場合は「どこでもない通路」に立つことにしていたんだけど、踏ん張って余計に負荷がかかるためにきつくなって、素直に車両の両端に行くようになった。そうすると必然的に優先席周りになってしまうので緊張する。
携帯に夢中な人ならば気づかなくて負担にならないだろうか。いやむしろ強くアピールしているように見えるだろうか。誰も全然気にしていないであろうことを一人思い悩むあたしは小さい。自意識過剰で実に小者だ。オットの人に言わせると「過剰にシャイ」なんだそうだ。こんな小市民ではエヴィータにはなれそうにない。
「自然、自然、自然。ここのやってくるたくさんの産婦さんたちが口にする、自然という言葉を聞くたびに、私はたくさんの言葉を空気とともにのみこむ。彼女たちが口にする自然、という言葉の軽さや弱さに、どうしようもない違和感を抱きながら、私はその気持ちを言葉に表すことができない。乱暴に言うなら、自然に産む覚悟をするということは、自然淘汰されてしまう命の存在をも認めることだ」
窪美澄・著『ふがいない僕は空を見た』。妊娠の参考本じゃなくて小説として手にとったのに、これまでの読んだなかで、妊娠・出産に関連する描写として一番しっくりきた。登場人物の一人に、助産師がいる。冒頭はオムニバス形式のなかで彼女の語りの章からの引用で、個人経営の助産院だけに「自然に産みたい」と希望してやってくる女性たちへの思い。
妊娠に関連して、「自然」という言葉で括られる様々な不自然さにうんざりし始めている。「無痛分娩にするかも」と言えば、自然に産むのも良いもんだよ、赤ん坊の顔を見れば痛みも疲れも吹き飛ぶよとか、やっぱりオーガニックでナチュラルな無添加フードですよね、オーダーしちゃってますとか、空気清浄機と安全素材のおもちゃ揃えましたとか。
他人は他人。分娩様式の選択に口を挟まれたときなど、実害があるときだけ否定すれば良いとは分かっているんだけど、ついそれ以上の思いを抱いてしまう。「自然」を愛し、恥ずかしげもなく「自然」を説いてくる人ほど矛盾が多い気がする。子どもが欲しくなったから排卵日計算して仕込んだっていうのは自然? 鉄分と葉酸だけは食材じゃなくてサプリで摂るのもOK? 食べづわりでマックのフライドポテトが止まらないって言ってたけど? 食べたくなるのは自然? でも添加物は不自然?
欧米では主流になっている無痛分娩が日本ではマイノリティなのは、「自然に産む」ことが推奨され、痛みすら美徳と捉える日本の風潮によるものだといわれている。結構なことだ。あたしは痛いのは嫌だし、あまり痛くなかったから愛情が薄れるならばそれまで(じゃあ父親はどうなるんだ)なので、選択肢として無痛・和痛分娩もある病院で出産を考えている。ひねくれてるのも、臆病なのもあたしのネイチャーです。自然体でいさせてね!
春先、スーツを着慣れていない、新入社員と思しき若者達が、大きく張った胸とみなぎるエナジィで満員電車をますます狭めてくれる今日この頃。医療業界も例外ではなく、産婦人科でも見慣れない、いかにも初々しい白衣の人々が増えた(医者なのか看護師なのか助産師なのかは判断がつかない)。
小太りの男性が診察室に駆け込んでいったので遅れてやってきた付き添いの人かと思っていたら、超音波検査のときに白衣で現れたため、多分遅刻したのであろう新人産科医であることが分かった。腹部の超音波だからまだいいけど、風貌も、不慣れな手つきも、白衣の雑な着方もそこはかとなく不安を感じさせる。
しかしこちらはまな板の上の鯛。煮るなり焼くなりされるのを待つことしかできない。腹部を出して待っていると、超音波検査用のジェルを、予告なしにたーーーっぷりとかけられた。おフレンチのソース料理だったか…それは新しい。その上、検査装置をやみくもに動かすので、なにがなんだか分からない。「頭です」「右目です」という説明はあるが、まったくそれらの輪郭がつかめない上に、採寸している箇所もなにやら怪しい。前回は見えていた頭や手足のパーツに何かあったのか、ますます心配になってくる。受け取った超音波写真は、今までの中で一番わけがわからない、部位すら判別できない心霊写真状態だった。
ティッシュ箱を手渡してくれずに、「はい、お腹拭いたら結果を待って下さいね」と言って去る新入りセンセイに、「終わった後の始末をしない」男の姿を見る。拭かないでそっぽを向くタイプですね。ティッシュを手繰り寄せて、お腹を拭き始めて二度びっくり。ショーツにペーパータオルを挟んでいるのに、そこに染みて、さらにサイドに流れでて、脇腹とおろしたジーンズも濡れているほどのジェルの量だった。ヌレヌレがお好きなのね。…って、ふざけんな!! お陰で会社に直行するはずが、着替えのために帰宅を余儀なくされてロスタイム…はた迷惑なOJTである。
看護師が横で見ていることもなく彼とは1:1だったし、このヌルヌルの事後放置プレイについてフィードバックする機会は当然ない。だとしたら、この人は気づく機会はあるのだろうか。何人目かの女が、私のできなかった指摘をビシっとしてくれることを願いつつ(それ以上に、もう彼に当たらないことを祈りつつ)、診察室を後にした。冷やしてはいけないはずの腹はジーンズのジェルに浸ったままで…。